長澤まさみさんといえば数々のドラマや映画に出演する人気女優ですが、実は父親も有名なのをご存知でしょうか。父親は元サッカー日本代表で、ジュビロ磐田の初代監督も務めた長澤和明さんです。今回は、長澤まさみさんの父・長澤和明さんの経歴や家族についてご紹介していきますので、ぜひチェックしてみてください。
目次
長澤まさみの父・長澤和明とは
長澤まさみさんは、多くのドラマや映画の作品に出演し、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞をはじめ数々の賞を受賞している人気の女優です。そんな長澤さんの父親は、元サッカー日本代表の長澤和明さんです。まずは長澤和明さんのプロフィールをチェックしておきましょう。
長澤和明のプロフィール
【2月4日生まれの静岡ゆかりの人】長澤和明。1958年生。清水区出身の元サッカー選手。指導者。俳優・長澤まさみの父。清水東高時代に高校総体3位、選手権準優勝。ヤマハでプレイし、A代表にも選出。磐田初代監督。https://t.co/tHWfeqk8Ha pic.twitter.com/Caum9dL8rC
— 静岡ジン🍥 (@szgmt) February 4, 2023
長澤和明さんは日本国内でもサッカーで有名な静岡県に生まれ、高校生の頃からサッカーの実力を発揮しました。ポジションはミッドフィルターで、サッカー日本代表としても活躍します。
ケガにより選手を引退した後はコーチや監督として活動し、Jリーグ参入前のジュビロ磐田の初代監督を務めました。その後も数々のチームの監督として多くの選手を指導し実績を重ね、厳しくも面倒見が良いことでも有名な名監督でした。
名前 | 長澤和明(ながさわ かずあき) |
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生年月日 | 1958年2月4日 |
出身地 | 静岡県清水市 |
血液型 | A型 |
身長 | 177cm |
最終学歴 | 東京農業大学 |
職業 | 元サッカー選手・サッカー監督・解説者 |
長澤まさみの父・長澤和明の経歴
元サッカー日本代表であり、さまざまなチームの監督も務めた長澤和明さんはどのような方なのでしょうか。ここでは、長澤和明さんの選手時代や監督の経歴、そして現在についてご紹介していきます。
高校選手権で準優勝
サッカーが盛んな県として知られる静岡県出身で、高校は清水市にあるサッカーの名門「静岡県立清水東高校」に通っていました。高校時代はサッカー部に所属し、ミッドフィルター(MF)として実力を発揮し活躍しました。1973年に全国大会である高校総体で3位となり、1974年には高校選手権で準優勝しました。
サッカー日本代表として選出される
ヤマハ発動機:上永吉英文、内山篤、柳下正明、山本昌邦、森下申一、吉田光範、長澤和明、内山勝、石神良訓、沖野隆幸、望月一仁(順不同)
Yamaha team in Japan Cup83, Botafogo(Brazil) vs Yamaha Motor soccer club(Japan)1-1 at Omiya in Japan on 31 May 1983
photo by Masahide Tomikoshi pic.twitter.com/G3d5rrrIC6— tphoto (@tphoto2005) June 15, 2019
高校卒業後は東京農業大学へ進学し、在学中である1978年にサッカー日本代表に選出されました。1978~1985年まで日本代表として活躍しますが、同じMFのポジションに有力選手だった木村和司さんがいたため、試合への出場は9試合でした。
大学卒業後の1980年、22歳の時に日本サッカーリーグ所属のヤマハ発動機サッカー部に入部します。このチームはのちのジュビロ磐田で、主将としてチームを引っ張り1982年に1982年に天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝、1987~1988年にJSL1(日本サッカーリーグ1部)で悲願の初優勝を飾っています。
しかし、30歳の時に膝をケガしたことで選手を引退してしまいました。娘である長澤まさみさんは1987年生まれなので、長澤まさみさんがまだ小さい時に選手を引退したことになります。
ジュビロ磐田の初代監督になる
選手引退後はヤマハ発電機サッカー部のコーチとなり、1991年に監督に就任しました。ヤマハ発電機の監督が長澤さんにとって初めての監督就任となりましたが、在任中にチーム名が「ジュビロ磐田」に変わったため、ジュビロ磐田の初代監督ということになります。
そして1992年に旧J1での優勝、1993年にJリーグへ昇格という実績を挙げ、ジュビロ磐田を強豪サッカーチームに成長させていきました。
その後もサッカーの監督を務める
ジュビロ磐田の監督を退任後も、さまざまなサッカーチームの監督を務めました。監督を務めた静岡県の常葉学園橘高校サッカー部は、就任中の2001年に全国大会に出場しています。
また2015年には母校であり、内田篤人選手の出身校でもある清水東高校のヘッドコーチを3年間務めました。長澤さんが監督を務めたチームは、以下の通りです。
1991~1992年 | ヤマハ発動機サッカー部 |
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1993年 | ジュビロ磐田 |
1995~1996年 | 鈴与清水FCラブリーレディース |
1997年 | 本田技研工業サッカー部(Honda FC) |
1999~2001年 | ソニー仙台FC |
2001~2007年 | 常葉学園橘高等学校サッカー部 |
2008~2012年 | 浜松大学サッカー部 |
2013年 | グランセナ新潟FC(総監督) |
2014年 | 北越高等学校サッカー部 |
2015~2017年 | 清水東高等学校サッカー部(ヘッドコーチ) |
現在はサッカー解説者をしている
母校・清水東高校のヘッドコーチを2017年に退任した後は、テレビやラジオなどでサッカー解説をメインに活動されています。解説の内容が激辛と話題になることもありますが、元サッカー日本代表でさまざまなチームの監督をしていた経験から、厳しい目で見ているのでしょう。
監督時代からJリーグや地元の高校サッカーの解説をしていましたが、2017年に退任した後はニュースなどに名前が出ることが少なくなりました。
しかし母校の県予選に顔を出している、地元でサッカーを教えているという情報もあり、表には出ないものの地元・静岡の少年サッカークラブなどで教えている可能性もあります。
長澤まさみの父・長澤和明はどんな監督だった?
数々のサッカーチームや高校で監督やコーチを務めてきた長澤さんは、どのような監督だったのでしょうか。普段は温厚で優しい方ですが、サッカーのことになると熱くなり厳しい指導をしていたことで知られています。
本当にサッカーが好きで、元サッカー日本代表であり監督歴も長いことから厳しく指導していたのでしょう。サッカーへの情熱ゆえに、監督でありながら試合中に退場処分となり、退席した後もトランシーバーでベンチに指示を出し続け審判に注意を受けたこともあります。
熱く厳しい指導だけではなく、監督としての実力も高く評価されていました。プロのみならず学生の指導にも力を入れており、数々のチームから監督を依頼されるということは、実績はもちろん指導力や人柄などが評価されたからなのでしょう。
長澤和明の家族について
ではここからは、長澤和明さんの家族について見ていきましょう。先述したように、娘さんはドラマや映画、CM、舞台と幅広く活躍している、言わずと知れた人気女優の長澤まさみさんです。
長澤和明の妻は長澤まさみ似の超美人⁈
奥様は一般人のため写真などはありませんが、長澤まさみさんに似た超美人なのではと言われています。和明さんは写真を見る限りそこまで長澤まさみさんに似ているわけではないため、長澤まさみさんは母親似であり、母親つまり和明さんの妻もまさみさん同様に美人と言われているのです。
ネット上では、妻は「モデルなのでは」「下着メーカー代理店勤務」「身長はまさみさんと同じ168cmくらいある」「まさみさんがメガネをかけると母親に激似」といった噂がありました。
長澤和明の息子は高身長の一般人⁈
まさみさんの他に竜太さんという息子が一人おり、まさみさんの兄に当たります。息子さんも一般人のため詳しいプロフィールや写真などは公表されていません。
社会人で「スポーツ系の仕事」「アパレル系」といった噂もありますが、実際にどのような仕事をしているのかは不明です。SNS上では「ユニクロでアルバイトをしていた」「身長190㎝あるイケメン」という情報があり、息子さんもスタイル抜群で美しい顔立ちなのでしょう。
長澤まさみと父・長澤和明は仲良し親子?
娘さんである長澤まさみさんとの親子の仲はどうなのか、気になる方もいるのではないでしょうか。まさみさんと父親の仲は良く、まさみさんご本人が仲良しエピソードを明かしたこともあります。ここでは、長澤まさみさんと父・長澤和明さんの親子のエピソードをご紹介していきます。
長澤まさみが部員に「ミサンガ」を贈る
和明さんは2001~2007年に、静岡県の常葉学園橘高等学校サッカー部の監督を務めていました。就任中の2005年に全国高等学校サッカー選手権大会に初出場することになり、その際にまさみさんが父親の教え子である部員のために手作りのミサンガを贈ったということです。
父親の教え子たちへのエールに加え、父親への思いも込められていたのでしょう。当時まさみさんは18歳で「優しい時間」「ドラゴン桜」などに出演しており、すでに有名女優でした。直接大会の会場に足を運ぶと混乱を招いてしまうため、代わりにミサンガを編んでプレゼントしたのです。
長澤まさみの今があるのは「父親」と「中山雅史」のおかげ?
まさみさんご本人によれば、仲は良いけれど父親は厳しく、上京にも大反対していたということです。親が厳しいと子供の自立心が育ち、忍耐力が付くと言われています。厳しい父親の元で育ったことで強い意志を持って芸能界入りし、忍耐強く頑張ったため今の長澤まさみさんがあるのでしょう。
またジュビロ磐田で監督をしていた時「ゴン中山」こと中山雅史さんが選手としてチームでプレーしており、中山さんが長澤さんの家にご飯を食べに来るなど交流がありました。
中山さんの奥様は東宝芸能所属の生田智子さんで、長澤まさみさんの母親から「まさみさんが女優になり」事を知り、自身が所属する東宝のシンデレラオーディションを紹介したことが芸能界入りのきっかけになったのです。
まさみさんはこのオーディションに応募し、12歳で史上最年少グランプリに選ばれて芸能界デビューしました。その後「クロスファイア」で映画デビューを果たし、ティーン雑誌「ピチレモン」専属モデル、2003年の映画「ロボコン」で第27回日本アカデミー賞新人俳優賞等を受賞するなど活躍することになります。
長澤まさみの父・長澤和明はすごい人だった!
今回は、人気女優・長澤まさみさんの父・長澤和明さんの経歴をご紹介しました。長澤和明さんは元サッカー選手で日本代表にも選出され、選手引退後はジュビロ磐田の初代監督を務め、その後もさまざまなチームの監督を務めました。
監督としても実力を発揮し、名指導者としても知られているすごい方です。現在も解説者や指導者としてサッカーに携わっているという情報があり、サッカーへの情熱あふれる長澤和明さんを今後も見守っていきましょう。