フィギュアスケートと言えば「浅田真央」という名前が出てくるのではないでしょうか?今回は浅田真央さんのお父様で「浅田俊治」についてご紹介して行きます。俊治さんについての悪い噂は本当なのか。また、お母様の「匡子」さんについても調べましたのでぜひご覧ください。
目次
浅田真央のプロフィール
名前 | 浅田 真央(あさだ まお) |
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生年月日 | 1990年9月25日 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
身長 | 163cm |
血液型 | B型 |
趣味 | 買物、読書 |
記録
- アジア人初の世界選手権シングル3回優勝
- 史上初グランプリシリーズ2005年~2013年にかけて7大会全ての大会で優勝
- 女子初 トリプル・キャリアグランドスラム
- 女子初 1大会で3度のトリプルアクセル成功
- 女子初 冬季オリンピックショートプログラムでのトリプルアクセル成功
- 女子初 同一プログラムで2回トリプルアクセル成功
- 女子ジュニア初 国際大会でのトリプルアクセル成功
- 国際大会で女子最年長でのトリプルアクセル成功
メダル獲得歴
- オリンピック
2010年 バンクーバー 女子シングル(銀) - 世界選手権
2007年 東京 女子シングル(銀)
2008年 ヨーテボリ 女子シングル(金)
2010年 トリノ 女子シングル(金)
2013年 ロンドン 女子シングル(銅)
2014年 さいたま 女子シングル(金) - 四大陸選手権
2008年 高陽 女子シングル(金)
2009年 バンクーバー 女子シングル(銅)
2010年 全州 女子シングル(金)
2011年 台北 女子シングル(銀)
2012年 コロラドスプリングス 女子シングル(銀)
2013年 大阪 女子シングル(金) - グランプリファイナル
2005年 東京 女子シングル(金)
2006年 サンクトペテルブルク 女子シングル(銀)
2007年 トリノ 女子シングル(銀)
2008年 高陽 女子シングル(金)
2012年 ソチ 女子シングル(金)
2013年 福岡 女子シングル(金) - 世界ジュニア選手権
2005年 キッチナー 女子シングル(金)
2006年 リュブリャナ 女子シングル(銀) - ジュニアグランプリファイナル
2004年 ヘルシンキ 女子シングル(金)
浅田真央の名前の由来
日本人なら、その名を知らない人はいないであろう「浅田真央」さんですが、真央という名前の由来はどのような意味があるのでしょうか?
浅田真央さんのお父様の浅田俊治さんが女優の大地真央さんの大ファンだったそうで、そこから「真央」という名前になったそうです。
みなさんご存知の様に、後に真央さんは女優ではないけれど、大地真央さんの様に日本中に知られる、世界で活躍するスケート選手になりました。
浅田真央とスケートの出会い
真央さんがスケートと出会ったのは5歳の時です。真央さんの姉で、スケート選手だった舞さんと一緒にスケートリンクに遊びに行ったのがきっかけとなりました。
その後、真央さんは舞さんと共に、名東フィギュアスケートクラブへと入会します。そして、スケートの練習に没頭し始めます。
また、この当時その後ライバル関係となる安藤美姫さんも名東フィギュアスケートクラブに所属していたそうです。この何年か後に、スケート界を盛り上げる女性選手2人が同じリンクで汗を流して練習していた、とは驚きです!
浅田真央の父親(浅田俊治)の職業
ここからは浅田真央さんの父親の浅田俊治さんについてご紹介していきたいと思います。実はお父親の俊治さんには様々な噂があります。その噂の真相も探っていきます!
浅田真央の父親は元売れっ子ホスト
俊治さんは以前、売れっ子ホストだったという噂があります。この噂は本当なのでしょうか?この噂、本当なんです。当時、その界隈の名古屋では知らない人はいないほどの売れっ子ホストだったそうです。
ホストをしていた時の源氏名は「沢村 翔」という名前だったそうです。トップクラスと言われるほどの売れっ子ホストだったお父様ということは、やはりお父様も負けず嫌いで勝気の強い性格だったのでしょうか。
大変厳しい世界と言われる職業だけに、辛いことにも耐え抜き、努力をする性格はお父様に似たのかもしれません。
浅田真央の父親がホストを辞めた理由
俊治さんは40歳でホストの仕事から身を引いております。俊治さんはホストクラブ「カーネギー」のオーナーを務めており、この時の年商は1億円以上とも言われていました。
ここまで、大繁盛していたお店を辞めてしまった理由は何だったのでしょうか?その理由には俊治さんの大切な舞さんと真央さんに関係していると言われています。
ご存知の方もいるかと思いますが、フィギュアスケートはとてもお金のかかる習い事です。そんな中で小学3年生の時に真央さんは全日本新人発掘合宿に招集され、小学5年生で最難関と言われるトリプルアクセルへの挑戦を決意します。
そんな真央さんのスケートに取り組む姿を見て、金メダリストになれる選手へと育てようと決意したそうです。
そのためには、コーチの指導料、有名クラブへの登録料、さらには衣装代やシューズ代、試合の為の遠征費などがかかります。
一般的に大企業に務めている社員の1年の収入が軽く飛ぶ、と言われているほどお金がかかりますし、真央さんだけではなく、舞さんも同様に育成費はかかりますので俊治さんの本業のホストクラブの経営が好調だったとしても、家庭は大変厳しい状態だったそうです。
そんな中、2005年にGPファイナルで最高の成績をたたき出し、真央さんは年4~7社とのCM契約を結びます。この時の収入は1億円以上と言われており、今後の真央さんのことも考え水商売から足を引いたと言われています。
浅田真央の父親の現在の職業
かつて有名なホストとして活躍し、名古屋で1位、2位を争うまでに大繁盛していたクラブの経営を行っていた俊治さんですが、現在はどのような仕事をしているのでしょうか。
調べたところ、IT企業の社長をしていると言った噂やラーメン屋をしていると言った話を聞きますが、実のところは公表もされていない為、分かりません。
浅田真央の母親
続いては真央さんのお母様についてご紹介していきます。真央さんのお母様は一体どのような方だったのでしょうか。
浅田真央の母親 浅田 匡子は早逝
お母様のお名前は浅田 匡子(あさだ きょうこ)さんと言います。匡子さんの夢はプロのバレエダンサーになることだったそうですが、夢を叶えることは出来なかったそうです。その夢を子供達に託したのではないかと言われています。
そんな匡子さんは2011年12月9日に名古屋市内の病院で48歳という若さで亡くなっています。死因は肝硬変と言われており、20年もの闘病生活を送っていたそうです。
2011年、真央さんはグランプリファイナルでカナダに渡っておりましたが、匡子さんの容体が急変し、大会を棄権し帰国しました。しかし、匡子さんの最後に間に合わなかったそうです。
真央さんは、匡子さんの葬儀翌日から全日本選手権に向けて練習を再開させています。この真央さんの強い精神力は後に2012~13年のグランプリファイナル連覇、2014年の世界選手権の優勝へと真央さんを導きました。匡子さんと共に目指した夢を必ず勝ち取るという真央さんの強い決意があったのでしょう。
浅田真央のスケート人生を支えた母
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真央さんは3歳の頃からバレエ、体操、ピアノ、フィギュアといった習い事を9つしていたそうで、大変厳しいお母様だったそうです。
しかし、匡子さんは生きていく道を見つけてもらうために、たくさんの習い事をさせていたそうです。真央さんが日本を代表するフィギュアスケーターの道を選んだのは匡子さんの影響と言ってもいいでしょう。
匡子さんは真央さん、舞さんが幼少期の時から送り迎えを行い、スケートリンクを転々としたり、時には車中泊をしたりと子供達のために尽くされてきました。
また、有名なエピソードとして、日本人嫌いのタチアナ・タラソワコーチをロシアまで追いかけて行き、真央さんのコーチをしてもらえる様に直談判もしました。
常に真央さんのことを考え、見えない場所で努力をし、支えてきた匡子さんがいたからこそ「浅田 真央」という選手が生まれたのでしょう。
浅田真央を経済的に支えたのは父親
精神面で支えてきたのは、お母様の匡子さんということが分かったかと思いますが、スケートを続ける上で経済的に支えてきたのは、お父様の俊治さんでした。1人が1年間にかかる費用は最低でも300万円ほどかかると言われています。
真央さん、舞さんともにスケートの世界で活躍させるためには2人合わせて1年で600万円はかかっていたはずです。
浅田真央の父親の逮捕歴3回の噂
子供達2人の夢を叶えるために、大変苦労されてきたお父様の俊治さんですが逮捕歴があるという噂があります。果たしてこの噂は本当なのでしょうか。ここからは噂の真相に迫ります。
浅田真央の父親が交際相手をDV
俊治さんは奥様だった匡子さんが亡くなられた後の50代の女性と交際を始めますが、この女性に暴力を振るい、2015年5月22日に警察へ通報され、翌日に逮捕されたそうです。
浅田真央の父親の逮捕歴
- 1997年に経営されていたランジェリーパブをめぐり、公然わいせつ罪で逮捕
- 2015年に交際相手に暴力を振るい逮捕
逮捕歴は2回の様ですが、過去には同様の暴力沙汰などが3回はあったそうです。真央さんが素晴らしい成績をのこしている分、余計に残念なお話です。
浅田姉妹のフィギュアスケートを経済的に支えたのは父親
今回は浅田真央さんの父親浅田俊治さんについてご紹介してきましたがいかがだったでしょうか。あまり良くない話もありましたが、浅田真央さん、舞さんの浅田姉妹を経済的に支え、今があるのは俊治さんの頑張りがあったから、というのはよくお分かり頂けたでしょう。
真央さんは現役を引退しましたが、新しい道へと舵を切り、私たちにこれからも夢と希望を見せてくれることでしょう。そして、仲睦まじい親子の姿をいつか見せてくれる事を期待しつつ、締めくくりたいと思います。