2000年に起こった西鉄バスジャック事件は、当時テレビで生中継されるなど注目されていました。そこでこの記事ではバスジャックで逃げた人について調査しています。また、事件後の被害者や犯人だけでなく、運転手についてもふれているのであわせてご覧下さい。
目次
西鉄バスジャック事件とは
西鉄バスジャック事件では、犯人だけでなく逃げた人やバスの運転手についても話題になりました。運転手や人質について検証する前に、まずは「西鉄バスジャック事件」の概要について紹介します。
2000年5月に17歳の少年が起こしたバスジャック事件
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西鉄バスジャック事件とは、2000年5月に当時17歳である少年が起こしたバスジャック事件のことです。「バスを乗っ取る」「17歳の少年」という衝撃的な事件であることから、マスコミが大々的に報じたため、世間の注目を集めました。
またバスジャックされた際に人質となっていた乗客についても、逃げた人が数名いたことでも話題になりました。バスジャック事件を起こした犯人は、テレビ中継において牛刀(ぎゅうとう)を振りかざす場面もあり、リアルタイムで報じられたため、どのような結末になるのか日本中が見守っていました。
牛刀とは、名前にもあるように、牛肉を小さくカットできる包丁のことで、刀幅が広く刃先は鎌形で手持ち部分にいくに従い緩やかなカーブをえがいています。
西鉄バスジャック事件の犯人
西鉄バスジャック事件の犯人について一体どのような人物なのか気になる方も多いのではないでしょうか。ここでは、犯人の名前や犯行の動機などについて調査していきます。また犯人が「ネオ麦茶」と言われている理由についてもふれているのでチェックしてみてください。
犯人の名前と顔
西鉄バスジャック事件の犯人名前は「谷口誠一」さんです。事件当時は17歳であったため、2023年時点では40歳になっています。谷口さんの顔写真はTwitter上でしか出回っていません。
当時の写真であるため画像が荒く、また17歳だったこともあり顔が変わっているのではないかと推測されているため、確実な写真はありませんでした。Twitter上で出回っている写真では、メガネをかけていて黒髪のおかっぱ頭のような見た目をしています。
犯人がネオ麦茶と言われる理由
西鉄バスジャック事件の犯人である谷口さんは、別名「ネオ麦茶」と呼ばれていることがわかっています。そのように呼ばれているのは、谷口さんと2ちゃんねるが関係しています。谷口さんは事件前、掲示板上でバスジャックの犯行予告をしています。
犯行の予告に利用した2ちゃんねるのハンドルネームが「ネオ麦茶」であったため、谷口さんは「ネオ麦茶」とも呼ばれるようになりました。2ちゃんねるとは、1999年に開設された日本最大級を電子掲示板のことです。
西村博之さんにより個人サイトとしての開設となり、匿名(ハンドルネーム)での投稿が可能となっています。西村さんは「ひろゆき」という愛称で、様々な角度や視点から持論を展開し、支持する人も多くいます。
犯人の犯行の動機
西鉄バスジャック事件を起こした犯人、谷口さんの犯行動機は「自分を見捨てて精神病院に療養させた両親への復讐」です。病院で療養中の谷口さんは、2000年に起きた「豊川市主婦殺人事件」がきっかけで事件を起こそうと決心しました。
「豊川市主婦殺人事件」は、17歳の少年が全く知らない老夫婦を襲い、そのうち女性を殺害したというものです。この事件を受けて、谷口さんは「素晴らしい。自分もこのような少年になりたい」と自身の手記に書き残しています。
そして病院から外泊許可が下り、2000年5月3日に母校を襲撃するため決行にうつそうとしましたが、ゴールデンウィークであることに気づいたため、バスジャックをすることに急遽変更しました。
西鉄バスジャック事件では逃げた人がいる?
西鉄バスジャック事件では、逃げた人が3名います。では、その3人はどのようにして逃げたのか、男性か女性についても調査しています。また、犯人は逃げたら連帯責任として加害を加えると言っていて、被害者が出たのか、逃げた人のその後についてもふれています。
逃げた人①40代の女性
西鉄バスジャック事件において、バスから逃げ出した人の1人目は、40代の女性でした。乗客の意向によりトイレ休憩としてバスから降りることになりました。トイレに行くと言って降車したこの女性は、警察へ通報しました。
逃げた人②30代の看護師
西鉄バスジャック事件において逃げ出した人の二人目は、30代の看護師です。この女性は、バスが乗っ取られて3時間後にバスから飛び降りて脱出しています。バスの走行中に飛び降りたため、右足を骨折するなどの怪我を負いましたが、警察に無事保護されています。
逃げた人③50代の男性
西鉄バスジャック事件において逃げ出した人の三人目は、50代の男性です。この男性もバスから飛び降りて脱出しています。この男性が脱出した際、テレビで中継していました。
この男性は、バスに妻を残していましたが幸いなことに妻は助かっています。その後、自分を置いて逃げたことや他の人が犠牲になったことで離婚をしています。「逃げた夫を責めるわけではないがこの先一緒に過ごすことができない」と語っています。
逃げた人が現れたことにより女性2人が被害者に
西鉄バスジャック事件の犯人である谷口さんは、人質の乗客に対して「逃げたら危害を加える」と宣言していて、実際に3名の逃走者が出たことで被害にあった人がいます。
被害にあったのは女性二人です。1人目は「塚本達子」さんです。塚本さんは30代の看護師と50代男性が逃げた際に2度も被害に合っています。その結果、失血死に至り死亡しました。
2人目は、「山口由美子」さんです。山口さんは、40代の女性がトイレでバスを降り逃げた際に被害のあい、顔の傷がずっと残るくらい傷つけられています。
逃げた人はその後世間から批難される
バスから飛び降り妻を残して逃げた50代の男性は、妻と離婚しています。その妻は、「自分の夫が逃げたばっかりに女性が亡くなってしまった」と、見せしめとして亡くなった女性の息子に涙ながらに謝罪しています。
西鉄バスジャック事件の運転手や人質・犯人の現在は?
西鉄バスジャック事件の運転手や人質、犯人のその後や現在について気になっている方もいるのではないでしょうか。ここでは、運転手、被害者、犯人のその後について検証しています。
運転手の現在
西鉄バスジャック事件で、バスを運転していたのは50代の男性で、名前は「平野忠」さんです。平野さんは、死人が出たことに対して会見で号泣しながら謝罪をしていました。「自分がなんとかしなければならない」という責任感からこのような言葉が出たのでしょう。
平野さんは、事件後に体調を崩してしまい、1年以上休職しました。復帰後はバスの運転手席に座ると事件のことを思い出してしまうようで、運転手ではなく窓口業務をしていました。平野さんは2002年に心的外傷後ストレス障害を患い、後遺症保障の労災認定になったようです。
被害者の現在
西鉄バスジャック事件の被害にあった人のうち、山口さんについてその後の活動が判明しています。山口さんは、犯人である谷口さんのことを許しているという旨のコメントを発表しています。
谷口さんが謝罪をしに山口さんを訪れた際、背中をさすって理解しようとする立場にいました。70代になった山口さんは、谷口さんのような人を二度と出さないために、不登校で悩んでいる親子のサポートをしているとのことです。
6歳の女の子の現在
西鉄バスジャック事件では、人質の中に6歳の女の子も含まれていました。事件後、この女の子はバスのような狭い場所にいるのが苦手になり、メガネをかけている人を怖がるようになったそうです。
女の子の母親は、普段の生活で料理をするときに包丁を握らないなどケアをしたとのことです。その後は、周囲の人に恵まれ大学まで無事卒業し、会社員として元気に働いているそうです。
犯人の現在
谷口さんは少年院を出所後、行方がわからなくなっています。再犯や自殺といった情報もないため、社会復帰をまだしていないのではないかとされています。
谷口さんの両親は、被害者に対して賠償金を払っているとのことです。賠償金については、暫定的ですが死亡者に対して550万円、重症者は二人合わせて350万円、残りの被害者は20~40万円を支払っているようです。
谷口さんの両親は、被害者に対して誠実な対応をし続けていたり、二人とも退職し、家も売り払って賠償金を払い続けています。
西鉄バスジャック事件では逃げた人が3人いた
いかがでしたか?今回は西鉄バスジャック事件で逃げた人について検証しました。逃げた人は30代と40代女性、50代男性の3名でした。
西鉄バスジャック事件で逃げた人や被害者、犯人について、当時の状況やその後について検証しているのでこの記事をぜひ参考にしてみてください。