お笑いコンビ「オードリー」の若林正恭さん。相方・春日俊彰さんのボケに対しての鋭いツッコミが人気で、コンビとしてだけでなく、ピンでもMCを務めるなど幅広く活動しています。そんなオードリー若林さんにとって、父親はとても大きな影響を与えた存在だったようです。若林さんの父親は一体どんな方なのでしょうか。家族エピソードも交えて、詳しくご紹介します。
目次
オードリー若林正恭についての基本情報
人気お笑いコンビ、オードリーのツッコミ担当若林正恭さん。かつてはオードリーの”じゃない方芸人”とも言われていましたが、近年はピンでMCを務めるなど、あらゆる世代から好感度を得ています。まずは、若林さんのプロフィール・学歴・性格など、基本情報からチェックしていきましょう。
オードリー若林正恭のプロフィール
本名 | 若林 正恭(わかばやし まさやす) |
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出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1978年9月20日 |
年齢 | 45歳 ※2023年11月現在 |
身長 | 169cm |
血液型 | O型 |
職業 | お笑い芸人・漫才師・司会者・俳優・エッセイスト お笑いコンビ「オードリー」ツッコミ担当 |
所属事務所 | ケイダッシュステージ |
オードリー若林正恭の学歴
若林正恭さんの出身校は、東京都中央区立明石小学校→日本大学第二中学校・高等学校→東洋大学文学部第2部国文学科です。東洋大学4年時に、春日俊彰さんとコンビ「ナイスミドル」を結成しデビュー(※2005年に「オードリー」へ改名)していますが、大学はしっかり現役で卒業しています。
オードリー若林正恭の性格
テレビでは鋭いツッコミをみせたり、人を笑わすなどとても明るい性格に見える若林さんですが、実は極度の人見知りでネガティブ、女性は特に苦手だったようです。過去に何度も出演しているアメトークの「人見知り芸人」では、代表的な存在としてひな壇に座っていました。
ただ、それを克服しようと何と毎日ガールズバーに通ったそうです。女の子とコミュニケーションをとることで徐々に人見知りは改善され、今ではすっかり克服。アメトークへは「人見知り芸人卒業生」として出演し、人見知り芸人達に克服法を伝授 していました。
かつては女性が苦手で目も合わせられないほどでしたが、2019年11月に15歳年下の一般女性と交際期間3ヵ月で結婚、現在は一児の父です。
若林正恭さんは、「エッセイスト」という顔も持っており、本を何冊が出版しています。その中の『社会人大学人見知り学部卒業見込(完全版)』は自身の性格についても触れているので、若林さんのことをもっと知りたい方は是非読んでみてください。
オードリー若林正恭の実家は意外にも極貧だった
若林さん東京都中央区生まれ。中央区と言えば東京23区の中でも上位に入る裕福な街です。若林さんの実家もさぞかしお金持ちと思いきや、実は意外にも極貧生活を送られていたのだとか…。
過去に出演した日テレ系『誰だって波瀾爆笑』では、給食で初めてふりかけを食べた時は眉間が爆発するほどうまかった、父親が家にいると「ウインナーとご飯だけ」「豆腐とご飯だけ」、父親がいないとおかずが増えるの繰り返しだったと、幼少期の極貧生活を告白し話題になりました。
中央区に住みながら、何故そんなに貧しい幼少期を過ごしてしたのでしょうか。この極貧生活はどうやら父親に原因があったようで、その理由については後に詳しく解説します。
オードリー若林正恭の父はどんな人?
極貧生活の元凶になった、若林さんの父親とはどのような人なのでしょうか。過去の若林さんの発言から、その人物像を調査しました。いろいろ問題ありの父親だったようですが、若林さんに大きな影響を与えていました。
若林正恭の父①昔フォークソングの歌手をしていた
若林さんの父親の名前は「タカヒコ」さんと言います。昔フォークソング歌手をしていた経験があるようで、若林さんはかつて自身が出演するラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』で、「オヤジはバンドをやってたんですよね。大学のときにね。」と明かしていました。
アメリカのカントリーソングのコピーバンドをやっていたらしく、ラジオに出るくらいの実力があったようです。ライブでは結構人を集めるほど人気を得ていたようで、何とプロからのお誘いもあったそうです。
プロになれば作詞作曲をやらなければいけないと思い作詞に挑戦したそうなのですが、いざやってみると主張したいことが何もなく、歌手になるのをやめてしまったのだとか…。
オードリー若林さんと言えば、歌下手芸人としても知られた存在です。そんな若林さんの父親がプロから声がかかるほど、歌が上手かったというのは驚きでした。ラジオでは、「今でもギターを弾きながら歌っている」と語っていました。
若林正恭の父②仕事を8回クビになった
若林さんは幼い頃極貧生活を強いられていましたが、それは父親が原因でした。子供の頃は「親父はいつも家にいるな…」と違和感を覚えていたようで、大人になってから、その理由が「仕事を8回クビになっていた」ということを知ったそうです。
リストラや会社倒産ではありません。”解雇”です。どうやら若林さんの父親にはサボり癖があったそうで、営業車で昼寝をして仕事をサボっていることがバレてクビ、朝まで麻雀をやって会社を休んでクビ…。何度クビになってもサボり癖はなおらず、転職・解雇を繰り返していたのだとか…。
若林さんの祖母は食堂を経営していました。極貧ながらも若林さん一家が何とか生活できたのは、祖母の助けがあったのではないでしょうか。父親のサボり癖が原因で家計が圧迫、それでも離婚をしなかった若林さんの母親は凄いです。
若林さんは、日テレ系『誰だって波瀾爆笑』で父親のことを面白おかしく語っていました。ひとつのネタとして扱えるのも、若林さんが芸人として大成功したからこそでしょう。
若林正恭の父③M1準優勝以前に息子を勘当していた
今ではネタにしたり、自身の著者にまで登場する父親ですが、なんと勘当されていた時期があったようです。若林さんは2000年に相方・春日俊彰さんとコンビ「ナイスミドル」を結成してデビューするも、鳴かず飛ばずの状態でした。
2005年にコンビ名を現在の「オードリー」へ改名しましたが中々結果は出せず…。そんな若林さんを見かねた父親は「芸人を辞めて定職に就くか、家を出て芸人を続けるか」を迫ったそうです。
父親は司法書士を通じて念書を作成するほど本気でした。「転職・解雇を繰り返していた父親が自分を棚に上げて何を言っているんだ」と、多くの方がそう思うでしょう。
しかし、そういった経験をしているからこそ、自分のような道を歩んでほしくないという気持ちがあったのかもしれません。若林さんは、この時の事を「父親から絶縁状を叩きつけられたと感じた」と語っていました。
オードリーは
ここから始まった#annkw #M1 #M1グランプリ #M1グランプリ2008 pic.twitter.com/2rgct13Lk9— ワカウソマニア (@wkbys_wkbys) December 18, 2021
父親から芸人と定職のどちらかを迫られ、「芸人」を選んだ若林さん。それから父親と関わることはありませんでした。しかし、2008年に『M-1グランプリ』おいて敗者復活戦から決勝進出、決勝でNON STYLEに敗れはしたものの、準優勝に輝きました。
それからオードリーはテレビで見ない日はないほどの人気を集めていきます。そして2009年、絶縁状態だった父親と和解ができたそうです。絶縁したのは若林さんを大切に思っているからこそ。テレビで活躍している息子の姿は、さぞかし嬉しく、微笑ましかったことでしょう。
若林正恭の父④肺がんの病気を患い2016年に死去
破天荒な人生を送られてきた若林さんの父親でしたが、肺がんを患い、1年半に渡る闘病生活の後、2016年の4月に亡くなっています。若林さんは、ラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』で、「お見舞い行っては仕事。仕事行ってはお見舞いを続けていた」と語っていました。
仕事に行く前に必ず病院に顔を出していたようで、残された父親との時間を大切にしていたのでしょう。そしてこの父親の死が、後の若林さんの芸能活動に大きな影響をもたらすことになるのです。
若林正恭の父⑤父の死後若林は引退も考えていた
若林さんはラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』で、父親が亡くなった時の辛い心境を率直に語っていました。
「亡くなるとどんな偉い人の聞こえのいい言葉も全然響かなくなるな、親父が死んだら。生きてる人の言葉だなって思うもん。死んでねぇもんな、この人って思うもん、どんないいこと言ってても」と語り、父親の死によってネタも作れない、と笑いながらも弱音を吐いていました。
当時はお笑いを続ける気力がなくなるとほど落ち込み、意気消沈していた若林さんですが、結果的に父親の影響で人生観、考えた方が変わったことで仕事の幅が増え、お笑いだけでなく、MCやエッセイストなど、辛い時期を乗り越えてあらゆる方面で活躍されています。
オードリー若林正恭の母親や姉について
若林さんの父親は”タカヒコ”として、よくラジオやテレビのネタとして登場します。では、破天荒な父親と結婚し、別れることなく最後まで一緒にいた母親はどういう方なのでしょうか。また、若林さんには姉が1人います。ここでは、若林さんの母親と姉について見ていきましょう。
島根県出身の若林の母親
母親の名前は「節子さん」で、島根県鹿足郡吉賀町柿木村出身です。自然豊かな美しい田舎町で、若林さんは幼い頃によく訪れていたそうです。
若林さんは父親が亡くなる前、「結婚して良かったね、2人で頑張ったね」と父親と母親が手を握り合っているのを目撃したのだとか…。破天荒な父親と結婚をして相当苦労をされたかと思いますが、最期まで愛し合っていたのでしょう。
仲の良いマッサージ師の姉
若林さんには3歳上の姉がいます。お姉さんはマッサージ師で、若林さんはよく実験台にされるとラジオで語っていました。最近ではもう吹っ切れて慣れたようですが、オードリーが売れた頃は、「若林の姉」と言われることがすごく嫌だったそうです。
姉弟関係はとても良好で、過去には一緒いるところをスクープされたこともあります。記者が彼女と見間違えるほど、仲が良いのでしょう。
オードリー若林正恭の家族エピソード
若林さんは極貧生活でも家族円満に仲良く過ごしていたようです。最後はそんな若林一家の印象深い家族エピソードをご紹介します。若林さんは芸人になる遥か前、テレビに出演していたことが分かりました!
家族エピソード①家族総出でCM出演
若林一族
これが若林さんが週刊誌の記者に彼女だと間違えて撮られた女性(妹)か。#オードリー#金スマ#リトルトゥース pic.twitter.com/LuchfgQeUg
— よっぺ (@lWZknqEcrA8kE3C) May 1, 2020
若林さんが小学校2年生の時に、TBS系列で月曜~金曜15時台に生放送されたワイドショー番組 『3時に会いましょう』で、番組のスポンサーでもあった「花王」のCMに家族で出演したことがあります。
父親・母親・祖母・本人・姉と、家族総出で出演です。噂の父親は若林さんにそっくり!お姉さんも似ている気がします。(※Xには妹とありますが姉です!)母親は優しそうでとてもお綺麗な方です。
家族エピソード②父と病室で一緒に春日の番組を見た
https://www.youtube.com/watch?v=MaMc-Sjz1O8&t=73s
若林さんは父親の1年半に渡る闘病生活で、頻繁に病院にお見舞いに訪れていました。病室で一緒にテレビを見る機会も多かったようで、ラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』でその時のエピソードを語っていました。
相方・春日さんが出演する番組『どうぶつBANG!!』で、「ボディービルパンツ一丁で橋になってその上が犬が歩いて行くっていうのを親父と2人で病室で見たからね。春日の股間を犬が踏んでいくのを無言で親父と見て。」と語り、春日さんが「笑ってくれよー、そこはー」と突っ込んでいました。
闘病している中、親子で相方のこのような姿をどのような気持ちで見ていたのでしょうか…。上のYouTubeでは、その時のラジオのやり取りが視聴できるので、是非お聞きください。
家族エピソード③父親の最期にコンビののソフトクリームを食べさせた
2020年5月2日放送の『中居正広のキンスマスペシャル』では、父親が亡くなる際のことを明かしました。父親が亡くなる数日前、若林さんが父親に「何か食べたいものは?」と聞くと、「コンビニのソフトクリームが食べたい」と言われたそうです。
亡くなる間際にほしいものが、コンビニで手に入るものだったことがとても衝撃的で、「世の中はそんなに楽しいことで溢れているんだと思うと、自分が細々と積み上げてきた、ものを斜めに見るキャラがおじゃんになりました」と回想していました。
ハロウィンなどで若者達が盛り上がることも引いた目で見ていましたが、「楽しいなら、あってもいい」と寛容になれたそうです。父親の一言が、若林さんの考え方を大きく変えるきっかけになったのでしょう。ラジオでは父親のことを「尊敬できるところはないけど好きなんだよな」と語っていました。
家族エピソード④病室で父親は又吉の「火花」を読んでいた
上のYouTubeのラジオ音声には、春日さんのテレビを一緒に見ていたこと以外にも、父親が病室で芸人仲間、又吉直樹さんの『火花』をずっと読んでいたことについても触れていました。
若林さんはエッセイストとして本を何冊か出版しており、「いや、俺の本を読めよ」と思ったそうです。きっと息子の前では恥ずかしくて読めず、隠れて読んでいたのではないでしょうか。
家族エピソード⑤家族への態度が悪い
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若林さんは2019年11月22日、「いい夫婦の日」に15歳年下の一般女性と結婚、22年に第1子女児が誕生しています。その奥様と母親、姉、若林さんと食事に行った際、若林さんの母親と姉への態度が酷いらしく、奥様から指摘を受けたそうです。
「そこまで酷いと、ゆくゆくは私もそういう接され方をされるのかと思うと、先のことを考えちゃう…」と言われてしまい、これがきっかけで自分の言動を改め、家族関係改善に努めるようになったそうです。15歳年下ということですが、とてもしっかりとした女性なのでしょう。
家族思いでお笑いにも一生懸命なオードリー若林正恭の今後に注目!
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今回はオードリー若林さんの破天荒な父親にスポットをあててご紹介しました。 父親には相当振り回され、苦労をさせられたかもしれませんが、人柄も良く、家族全員から愛されていたようです。若林さんがラジオで明かしたように「尊敬できるところはないけど好きなんだよな」、まさにこれに尽きるでしょう。
奥様曰く、少し態度が悪いところもあるのかもしれませんが、基本は家族思いでお笑いにも一生懸命な若林さん。お笑い芸人、MC、さらにはエッセイストとして、これからの更なる活躍に注目です!