俳優 香川照之さんの息子で市川團子さんをご存じでしょか?香川照之さんも高学歴で有名ですが、息子の市川團子さんも高学歴で、さらには歌舞伎役者としても期待されているニューウェーブなのです。
今回は、市川團子さん(香川政明さん)のプロフィールや小学校から大学までの学歴について紹介します。また、歌舞伎役者としての、これまでの経歴などもまとめているので、ぜひ最後までご覧ください。
目次
市川團子の大学は青山学院大学!
初めに、市川團子さんが現在どの大学に通っているのか紹介します。歌舞伎も勉強も両立する市川團子さんは、首都圏の難関私立大学のひとつである青山学院大学に通っていました。
青山学院大学文学部比較芸術学科に在籍
イケメンで歌舞伎ファンの間でも期待されている市川團子さんは、青山学院大学 文学部比較芸術学科に在籍しています。文学部比較芸術学科は音楽や演劇、舞台映像を学ぶ学科で、芸術に特化しているのです。
また、実際に文学部比較芸術学科に通う生徒の中には、すでに音楽活動や役者活動をされている生徒も多くいるとのことです。文学部比較芸術学科は一般的な授業以外にも、課外授業として展覧会や演奏会、舞台を鑑賞したりと五感で学ぶことができます。
さらに、特別授業では落語の桂歌丸師匠や、映画監督の深作健太さんなどが公演をし、各分野のプロフェッショナルたちから貴重な話が聞けるのです。
市川團子さんは大学進学について、「じいじも猿之助さんも”外からの視点を持つため”大学を卒業しているので、自分もその背中を追い大学に進学した。」と明かしています。
比較芸術学科を選んだ理由は「演劇映像」を学ぶため
市川團子さんは、古典芸能・東西の映画・映像を学ぶ演劇映像を目的に文学部比較芸術学科を選んだとのことです。歌舞伎役者を目指す市川團子ですが、演出にも興味があるようで、演劇映像はまさにぴったりだったのでしょう。
さらに、大学でのインタビューでは「東洋から西洋の芸術まで幅広く学ぶ中で、僕はやっぱり一番歌舞伎が好きだと再認識出来ました」と明かしています。市川段四郎さんの”外からの視点を持つ”ことで、歌舞伎に対する熱い気持ちも改めて自覚できたのです。
また、演劇映像を担当するのは映画評論家の三浦哲哉さんで、課外活動では実際に撮影実習や映画祭への参加をし、より実践的に映像制作について学ぶことができます。
市川團子は小学校・中学校・高校も青山学院
続いて、市川團子さんの小学校・中学校・高校の学歴を紹介します。市川團子さんの小学校から高校の様子も併せて記載していくので、チェックしてみましょう。
青山学院初等部
市川團子さんは、青山学院初等部に通われていました。2010年4月には週刊誌が香川照史さん・奥さん・市川團子さん揃って入学式に行く様子をキャッチし、青山学院初等部に入学したと発覚しています。
小学生時代の市川團子さんはアニメや漫画が大好きで、美術部に入部し、自分でも絵を描くことにハマっていたようです。丁度、市川團子さんの憧れである市川猿之助さんも歌舞伎で『ONE PIECE』を演じられていますし、澤瀉屋はアニメ・漫画に好意的なのかもしれません。
青山学院中等部
市川團子さんは、中学校もそのまま青山学院中等部に内部進学されています。また、高麗屋の市川染五郎さんも市川團子さんの1つ下の学年で青山学院中等部に通っていたようです。
同じ歌舞伎の家元なだけに、周囲からも比較されやすかったようで、市川染五郎さんはクールで大人びた生徒だと言われていましたが、市川團子さんは反対にお調子者でよく喋るタイプだったとのことです。真反対の2人ですが親友と呼べるほど仲が良く、中学の時もよく遊んでいたのではないでしょうか。
青山学院高等部
市川團子さんの出身高校は、青山学院高等部です。いくら内部進学だとしても、青山学院高等部の偏差値は72なので、市川團子さんも学校の授業についていくために、かなり勉学に励まれたでしょう。
また、お調子者で明るいと言われる市川團子さんは運動部などに所属するイメージが強いですが、仕事があるため帰宅部で、勉強と歌舞伎メインの高校生活を送られていたようです。
さらに、中学時代までは明るい市川團子さんでしたが、高校では非常に大人しい生徒になり「のんびり閣下」と呼ばれていたと明かしています。この頃から父親の香川照之さんの作品も観るようになり、インタビューでは映画「ゆれる」の父のアドリブが凄いとコメントしました。
市川團子の父・香川照之(市川中車)の出身大学は東大⁈
続いて、市川團子さんの父親である香川照之さんの出身大学について紹介します。市川團子さんも初等部から青山学院でかなり秀才な方なのですが、父 香川照之さんも相当な学力の持ち主でした。
東京大学文科三類に入学
俳優以外にも虫が大好きで少年のような一面も披露する香川照之さんですが、なんと東京大学文科三類に現役合格し、東京大学文学部社会心理学科を首席で卒業していたのです。
香川照之さんの小学校~高校までの後輩であるホリプロ社長 堀義貴さんは「当時から頭脳明晰で、フランス語も原書で読んでおり、光っていた」と明かしています。また、大学時代はサークルなどには所属せず、勉学に集中していたようです。
現在は俳優以外にもコミカルに昆虫の愛好家としてNHKでカマキリ先生もされていますが、やはり番組内での昆虫の知識が豊富なので、非常に秀才な方なのでしょう。
大学4年のときにADのアルバイト
東京大学時代はサークルに所属しなかった香川照之さんですが、母親(浜木綿子さん)が女優をしていたため、幼いころから役者に対する憧れがあったのでしょう。他にやりたいことも見つからない香川照之さんは俳優になりたいことを母親に打ち明けますが、猛反対されたようです。
それでも中々食い下がらない香川照之さんを見かねた母親は「裏方の仕事をしっかり理解してから目指しなさい」と助言します。その言葉通り、香川照之さんは大学4年生の頃にTBSの緑山スタジオでアルバイトを始めたのです。
アシスタントの仕事は想像以上に過酷で、先輩からは連日怒られ通しだったと振り返っています。また、後輩には「強い者に弱く弱い者に強い、でかい顔」での弁当の配り方などを教えたようですが、後輩の1人が映画監督となった行定勲さんで、役者と監督として再開した時に”しっかり復讐された”ようです。

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市川團子は大学に通いながら歌舞伎役者としても活躍
続いて、市川團子さんの歌舞伎役者としての活躍を紹介します。小学校から大学まで青山学院でしっかり勉学に励まれている市川團子さんですが、歌舞伎役者としても華々しい活躍をされていました。
5~6歳ころからお稽古を始めていた?
正確には公表されていませんが、市川團子さんは歌舞伎を5歳~6歳頃から始めたと言われています。香川照之さんは2006年公開の映画『出口のない海』で主演の市川團十郎さんと共演した時、市川團子さんの歌舞伎入りについて相談したようです。
その話を聞いた市川團十郎さんが市川翠扇さんに踊りを学べるよう手配してくれたとのことなので、市川團子さんが2歳の時にはすでに歌舞伎役者になれる環境が整っていました。
歌舞伎界では幼少期から自然と歌舞伎に親しみを持たせ、子供が嫌がらないようゆっくり段階を踏んでいくようなので、5~6歳から始めたのではないかと言われているのです。
8歳のとき「ヤマトタケル」で初舞台
市川團子さんの初舞台は、2012年の「ヤマトタエケル」です。当時8歳の市川團子さんでしたが、当時を振り返り「そんなに緊張はしなかった」「幕が開くと空気が涼しくて、自然と気持ちが切り替わるイメージでした」と明かしています。
8歳の男の子が、大勢の前で堂々としたパフォーマンスをするのも、気持ちを切り替えることもかなり難しいことなので、当時から市川團子さんは歌舞伎役者の才能が備わっていたのでしょう。
19歳で市川猿之助の代役を務め大絶賛!
かねてから憧れていた市川猿之助さんが2023年に病院に運ばれた際には、急遽市川團子さんが『不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―』の平知盛役を代役で演じました。
かなり急な話だったため、稽古はわずか1日でしたが観客全員も魅了し、幕が下りた後も10分間スタンディングオベーションが続いたようです。
市川團子のプロフィール
氏名 | 五代目 市川 團子(いちかわ だんこ)/本名:香川 政明(かがわ まさあき) |
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生年月日 | 2004年1月16日(2023年8月時点:19歳) |
出身地 | 出生:福岡県/出身:東京都 |
趣味 | 音楽(特にBTSなどのK-POP) |
所属 | 屋号:澤瀉屋/定紋:八重澤瀉 |
ジャンル | 歌舞伎役者 |
市川團子の学歴はもちろん演技の実力もすごい!
今回は、香川照之さんの息子 市川團子さんのプロフィールや小学校から大学までの学歴について紹介しました。市川團子さんは小学校から大学まで青山学院に通われており、現在は演劇映像を深く学んでいるとのことです。
また、市川猿之助さんの事件があった際の代役を見事勤めあげ、歌舞伎役者としてもさらに注目されました。今後も大注目の期待の歌舞伎役者 市川團子さんを応援しましょう。