F1好きの方であれば、トム・プライスの名前を耳にしたことがあるかもしれません。F1では事故もしばしば起こりますが、トム・プライスは不幸にもレース中の事故で亡くなったF1レーサーの1人です。そこで今回はF1の歴史に残るレーサーであるトム・プライスにスポットを当ててみます。
目次
トム・プライスとは
F1レーサーとして名を馳せたトム・プライスとはどんな人物なのか、ここでそのプロフィールについてチェックしてみます。どんな生い立ちをもち、F1レーサーとしてどれだけ優秀だったのか探ってみましょう。
トム・プライスのプロフィール
トム・プライスは16歳で学校を中退したものの、母の意向により、万が一レーサーになれなかったときの保険としてLlandrillo Technical Collegeでトラクターのメカニックの勉強をしました。
メカニックとして働くかたわら、F3やF2に出場して経験を積んでいます。そして1974年にトークン・フォードに乗ってベルギーグランプリでF1デビューを飾りました。同年シャドウ・フォードに移籍しています。
トム・プライスの生い立ち
トム・プライス(Thomas Maldwyn Pryce)は、ウェールズのデンビーシャー州ルシンで1949年6月11日に生まれました。父親はイギリス空軍に務めた後、地元の警察部隊に入隊しています。母親はイギリスの国民保健サービスの地区病院に勤務する看護師でした。
トム・プライスは10歳でパン運送用のバンに乗ったことから車に興味を持ちましたが、当時トム・プライス自身は父親の影響を受け、パイロットになりたかったものの、成績が理由で諦めたと1975年のインタビューで語っています。
子ども時代、スコットランドの天才的レーサーであるジム・クラークや死後に1970年のF1ワールドチャンピオンとなったオーストリアのF1レーサー、ヨッヘン・リントに憧れていました。
しかし2人もレース中の事故で亡くなっており、当時のトム・プライスは大きなショックを受けたそうです。それでもF1への憧れは消えることなく、F1レーサーになるべく日々努力を重ねていました。
トム・プライスは期待のF1ドライバー
F1レーサーとして1974年にデビューしたトム・ライスは、雨と雪という悪天候に見舞われた母国イギリスのレースで、見事強豪を抑えて優勝し、F1史上初ウェールズ出身のドライバーとして喝采を浴びました。
その後トム・プライスは大きな活躍をし続けたものの、決してお高く留まることなくどんな相手にも気取らずフレンドリーに接する性格で、多くの人々から愛されました。
トム・プライスはルックスもよい上に、F1レーサーとしても一流の活躍を見せ、その人気はうなぎのぼりだったようです。イギリスではメディアで「期待の星」と呼ばれることもありました。
トム・プライスの主な戦績
トム・プライスは1975年のオーストラアグランプリでは3位に入賞し、ポールポジションまで獲得します。また、その後に行われたブランズハッチでのレース・オブ・チャンピオンズと呼ばれる非選手権戦においてポールポジションとファストステップを獲得。最終的に優勝を飾り、全世界から大きな注目を浴びました。
トム・プライスはF1レース中の事故で死亡
トム・プライスの名を検索すると、「事故死」という文字とともに検索結果に上がってくることがほとんどです。トム・プライスはF1レース中の事故で27歳という若さで亡くなっています。
南アフリカGPのレース中の事故で死亡
トム・プライスは1977年キャラミサーキットで行なわれた南アフリカグランプリ決勝レース中の事故で亡くなっています。
まだ若くF1レーサーとしてのこれからが大きく期待されていただけに、イギリスだけでなく世界中のファンがその死にショックを受けました。事故の詳細については今も語り継がれており、さまざまな不運が重なった結果の事故となっています。
事故当時の状況は悲惨だった
事故当時の状況は数あるF1レースの事故の中でもかなり悲惨だったと語り継がれています。この事故でマーシャルが1人亡くなっていますが、その体は車に衝突した衝撃で空中を高速で回転しながらばらばらになり、吹っ飛んだとされています。
事故の様子を記録した動画を見ると、マーシャルは縦に高く跳ね上がって宙を舞い、最終的に地面にたたきつけられています。とても救命措置をが取れる状態ではなく、即死だった様子が動画でも見て取れます。
トム・プライスの死亡事故の原因はマーシャル?
トム・プライス自身はどのようにして亡くなったのか、その死亡事故の直接の原因はマーシャルだったといわれています。ここでどのようにして亡くなったのか、その原因について解説します。
死亡事故の前に接触事故が発生
トム・プライスが亡くなる直前、ピット付近でレーサーのレンツォ・ゾルジがエンジントラブルを起こし、車をコースの脇に止めました。そこに2人のマーシャルが駆け付けたのが悲運の始まりでした。
マーシャルのジャンセン・ヴァン・ヴーレンと接触事故を起こした後、トム・プライスの車は別のレーサーに接触をしており、その間でトム・プライスは亡くなっています。
2回目の接触の相手はフランス人レーサーのジャック・ラフィットでしたが、幸いなことにジャック・ラフィットの命に別状はなく、2021年の現在も存命です。
経験不足のマーシャルがコースを横断
コース脇に止めたレンツォ・ゾルジの車から火が噴き、レンツォ・ゾルジは慌ててシートベルトを外しマシンから離れようとします。
その様子をコースの反対側から見ていた2人マーシャルがコースを横切っているときにトム・プライスのマシンが時速300kmで突っ込んできて、2人目のマーシャル、ジャンセン・ヴァン・ビューレンは即死します。
この時トム・プライスの前方を走っていたハンス・ヨアヒム・シュトゥックは横断するマーシャルを確認し、とっさに右へステアリングを切って無事に回避しましたが、トム・プライスにはジャンセン・ヴァン・ビューレンが目に入らず跳ねてしまいました。
経験豊富なマーシャルであれば、不用意にコースを横切るという失態は侵さなかったのではとされており、2人の不慣れなマーシャルが安易にコースを横切ったのが事故の一因です。
消化器がヘルメットに直撃していた
マーシャルを跳ねたのも不運でしたが、マーシャルが消火器を持っていなかったらトム・プライスは命を落とさなかったのではという説もあります。
亡くなったマーシャル、ジャンセン・ヴァン・ビューレンは消火器を持っており、跳ねられたときにこの消火器がトム・プライスの頭部に直撃したのです。
消火器が激しい衝撃でぶつかり、固いはずのヘルメットは見事に割れ、トムとジェリーは即死しました。絶命したトム・プライスは仰向け状態でハンドルを握り締めたままアクセルペダルを踏み、死後硬直状態のまま暴走し続け、第1コーナー先のキャッチフェンスにぶつかってトム・プライスのマシンは大破しました。
トム・プライスの直接の死因は、ヘルメットのあご紐が首を切断に近い状態まで切り裂いたことによるものと言われています。そのため、マシンが発見されたとき内部にはトム・プライスの体液と血液であふれていたそうです。
トム・プライスの死亡事故のその後は?
トム・プライスは1975年に結婚しており、亡くなったとき、彼には妻がいました。トム・プライスの死後、一人残された妻はどうしたのか確認してみましょう。
結婚式を挙げた場所にお墓を建てる
トム・プライスの死後、妻は1975年に結婚式を挙げたイングランドのケントにある聖バーソロミュー教会にそのお墓を建てました。結婚生活はわずか2年、残された妻は結婚式を挙げた当時の幸せを想ったのかもしれません。
トム・プライスの妻のその後
トム・プライスが亡くなった後、その妻はトニー・ブライズの妻と2人で、ロンドン南西部にあるフルハムでアンティークショップを経営しています。
トニー・ブライズはイギリスのケント州ダートフォード出身の元F1ドライバーで、1976年にはフランスで行われたマシンテストの帰りに乗った小型飛行機事故で命を落としています。享年23歳という若さでした。
お互いにF1レーサーの夫を亡くした未亡人ということで、お互いの運命に共感するものがあったのでしょう。未亡人同士お互いに支えって暮らしているのかもしれません。
トム・プライスは不慮の事故で亡くなっていた
今回は、レース中の不慮の事故で亡くなったF1レーサーのトム・プライスについてご紹介しましたが、いかがでしたか?トム・プライスの亡くなった状況について調べてみると、数々の不運が重なった結果の死に納得がいかない方もいるかもしれません。
トム・プライスの死はF1レーサーや関係者たちに大きな教訓を与えました。これからもこんな悲惨な事故が起こらないよう、F1関係者には注意してほしいものです。