『中学生日記』で華々しいデビューを飾った岡田建史さんが、2022年後半に芸名を改名したことはご存じでしょうか。まだ23歳の岡田建史さんは、改名しなければいけない複雑な問題を抱えてしまったのです。
今回は、岡田建史さんの基本的なプロフィールや、水上恒司に改名した理由・経緯などを紹介します。謎に包まれた改名の裏側や、解明後の心境を徹底追及してみましょう。
岡田建史(水上恒司)とは
まず初めに、俳優 岡田建史(水上恒司)さんのプロフィールや経歴、芸能デビューのきっかけを紹介します。岡田建史(水上恒司)さんの初々しいデビュー当時の様子や意気込みを深堀していくので、ぜひチェックしてみて下さい。
岡田建史(水上恒司)のプロフィール
氏名 | 水上 恒司(みずかみ こうし)/旧芸名:岡田 健史(おかだ けんし) |
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生年月日 | 1999年5月12日(2023年3月時点:23歳) |
出身地 | 福岡県福岡市 |
趣味 | 筋トレ・ジブリ作品(特にお気に入りは『もののけ姫』) |
特技 | 野球・料理 |
ジャンル | 俳優・ファッションモデル |
岡田建史(水上恒司)さんは、福岡県出身の俳優兼ファッションモデルです。小学2年生から少年野球を初めて岡田建史さんは、キャッチャーとして活躍し、阪神タイガースの川原陸とバッテリーを組んでいました。
幼少期から野球に打ち込んでいた岡田建史さんの趣味は筋トレで、「筋肉に惚れるイケメン俳優ランキング」にもランクインするほどの肉体美を持ちます。また、母親の影響を受け、大のジブリファンでもあり、サウンドトラックも聞くとのことなので、かなり熱心なファンだと分かります。
野球少年でジブリ男子と好感度が高い岡田建史さんですが、イメージ通り性格は真面目な方で、少し頑固だと自身で言及していました。
岡田建史の芸能界デビューのきっかけ
岡田建史(水上恒司)さんは中学一年生の頃、学校の帰り道でスカウトを受けました。当時は生粋の野球少年で、野球にしか興味が無かったためスカウトを断ったようです。しかし、あまりにもスター性を感じさせる岡田建史さんのことを、その芸能事務所は諦めきれず、その後5年間もアプローチを続けました。
それでも芸能界への興味が湧くことがなかった岡田建史さんですが、転機は野球部を引退後のことです。高校3年生で野球部を引退すると、今度は演劇部の顧問からスカウトを受け、急遽『髪を梳かす八月』に出演することになりました。
岡田建史さんが出演した演劇は、全国高等学校演劇大会九州ブロック大会最優秀賞を受賞し、ここで初めて「演技をしてみたい」と言う気持ちになったのです。その後、2018年放送のドラマ『中学聖日記』のオーディションを受けると、見事合格し華々しいデビューを飾りました。
岡田建史の経歴
2018年にドラマ『中学生日記』で華々しいデビューを遂げた岡田建史さんは、その爽やかな見た目と不器用ながらに真っすぐな役柄で、すぐに多くの視聴者を魅了しました。
2019年には福岡放送開局50周年記念スペシャルドラマ『博多弁の女の子はかわいいと思いませんか?』でドラマ初主演を果たし、2021年になるとNHK大河ドラマ『青天を衝け』で 尾高平九郎役を演じます。
また、同年の公開の映画『望み』や『弥生、三月-君を愛した30年-』『ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-』の演技力も高く評価され、第44回日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞しました。
俳優として着実に実績と経験を積む岡田建史さんは2022年公開の映画『死刑にいたる病』で阿部サダヲさんとW主演も果たし、俳優としてさらなる成長を見せたのです。
岡田建史が本名の「水上恒司」へ改名
続いて、岡田建史さんが改名した「水上恒司」の名前について紹介します。突然の改名だったので、世間からすると水上恒司と言う名が定着していませんが、岡田建史さんにとっては、馴染みのある名前だったのです。
水上恒司は岡田建史の本名!読み方は?
岡田建史さんが改名した「水上恒史」は、岡田建史さんの本名だったのです。読み方は「みずかみ こうし」と言い、芸名と思う程、苗字も名前も凛としたかっこよさがあるでしょう。
水上恒司に改名後の心境を話す
岡田建史さんは水上恒司に改名後の初の公の舞台は、2022年10月に開催された「Rakuten GirlsAward 2022 AUTUMN/WINTER」です。シークレットゲストとして大トリを飾った水上恒司さんは、ランウェイ後すぐに報道陣に囲まれます。
改名について各メディアから質問をされた水上恒史さんですが、「慣れないかもしれませんが、1年も経てば水上恒司の名で定着すると思います。」「突然の解明にファンの皆様を驚かせたかもしれませんが、心機一転、一から頑張っていくので宜しくお願い致します」と言及しました。
また、改名後は「自由にやっていきたい。それに尽きます。」と、前の事務所との確執が現れているのではないかと疑いたくなるような意味深な発言もしたのです。
岡田建史が「水上恒司」へ改名した理由は
続いて、岡田建史さんが何故、水上恒司に改名したのか理由を紹介します。突然の改名に戸惑ったファンは多いでしょうが、岡田建史さんは改名を考えなければいけないほどの環境で労働していたのです。
改名の理由①所属事務所とのトラブル
岡田建史さんの改名は、所属事務所との確執が大きく関わっています。岡田建史さんに約5年もアプローチしていた以前の所属事務所ですが、岡田建史さんは社長と同じ苗字なことが、とても嫌だったようです。
と言うのも、前事務所の問題はかなり浮き彫りになっており、社長からのパワハラがひどかったと言われています。パワハラに我慢できなくなった岡田建史さんは2021年4月に所属事務所の問題を裁判にかけたほどです。
また、岡田建史さんだけではなく、その事務所に勤める社員たちも社長のやり方についていけないと退職する人が続出していました。一部報道によると、岡田建史さんはデビューから1年半給料を一度も貰っていなかったようで、やっとの初給料は15万円だったとのことです。
さらに、事務所が管理するマンションでの生活を虐げられ、岡田建史さんは生活も金銭も縛り付けられ、まさに自由とは無縁の環境にいました。
改名の理由②出直す覚悟の現れ
芸能事務所と芸能人は、かなりの長い期間で契約するのですが、岡田建史(水上恒司)さんは裁判をしたことで約4年と異例の短さで所属事務所との契約を終了させました。
ブラック企業すぎる事務所でしたが、最後は「たくさんの素敵な作品に出会わせてくれた所属事務所に感謝しています」と大人な対応を見せたのです。また、今後について「これまでに培ってきたすべてを持って、懸命に泥臭く生きていきます」とコメントを残しました。
前所属事務所の社長は、契約を終了しても改名は提案しなかったようですが、岡田建史さんは再出発する気持ちも込め、自分から改名を決めたとのことです。
改名の理由③芸能界引退後も考えて
水上恒司にしたのは、もう一つ理由がありました。岡田建史さんは非常に真面目な方で、若手ながら演技にも人一倍こだわりがあったのです。自分が満足できない演技の時は、楽屋に籠ることもあり、妥協ができませんでした。
その為、俳優の仕事は好きでしょうが、それと同じくらい苦しんで取り組んでいたのでしょう。元から繊細な方なので、俳優業・芸能界に執着していないとこぼしていたようです。
このことから、岡田建史さんは芸名や俳優と言う職業を失ったとしても、それまでの功績が全て0にならないよう、そして、芸能界引退後も関係なく名前が使えるよう本名での活動を決めたとも言われています。
水上恒司は独立したの?
続いて、水上恒司さんの現在の様子について紹介します。所属事務所との契約が終了した水上恒司さんは、現在どのように芸能活動を行っているのでしょうか。
水上恒司は合同会社HAKUとの業務提携を発表
水上恒司さんは現在、合同会社HAKUと業務連携して芸能活動をしていました。また、水上恒司さんも現在の環境がとても気に入っているようで、「私の夢を実現するのに、最高なチームが結成されました」とコメントを残しています。
合同会社HAKUはどんな会社?
水上恒司さんが業務連携した「合同会社HAKU」は、CEOを務める岩崎恒平さん、Parkさん、Rinaさんの3名のヘアメイク担当と、アートディレクターTERUさんの4名だけの会社で、芸能プロデュースなどを行っています。
アートディレクターのTERUさんは、企画からキャスティング、映像制作、広告となんでもやっている方なので、水上恒司さんも心強い味方ができたのです。
改名して心機一転頑張る水上恒司さんに今後も注目!
今回は、岡田建史さんの改名やプロフィールについて紹介しました。岡田建史さんは演技力もビジュアルも兼ね備えた素晴らしい俳優ですが、芸能界の裏側に苦しめられていたようです。
芸能界はまだまだ古いやり方が通用する世界なので、岡田建史さんのような若い俳優・タレントが苦しみ、突然の活動休止に至ってしまうのではないでしょうか。今後は、水上恒司さんとして心機一転し頑張っていくようなので、ファンとして温かく見守りましょう。