眞栄田郷敦の母である千葉玉美は、現在どのような生活を送っているのでしょうか。この記事では、千葉真一の借金や54歳年下の愛人との不倫報道による離婚で波瀾万丈な人生を送ったと言われている千葉玉美にスポットをあててご紹介します。人気俳優として活躍する新田真剣佑と眞栄田郷敦を育て上げた一人の女性の生涯に迫ります。
目次
眞栄田郷敦の母・千葉玉美とは
眞栄田郷敦の母・千葉玉美とはどんな女性なのでしょうか。まずは、この記事でその波乱に満ちた人生に迫る眞栄田郷敦の母・千葉玉美について、年齢や基本情報をご紹介します。
千葉玉美の年齢
眞栄田郷敦の母にあたる千葉玉美は、眞栄田郷敦の父にあたる千葉真一の28歳年下の女性です。生年月日は公表されていませんが、この情報から、おそらく1966年度の生まれではないかと予想されます。
千葉玉美は元舞妓
千葉玉美は元舞妓であり、舞妓の中でもトップレベルの人気を誇っていたようです。トップクラスの舞妓になると、呼ぶのにも指名料がかかるようなので、おそらく千葉真一は大金をかけて彼女を指名し続けていたものと思われます。
なお、舞妓という呼称は芸妓になるための見習いをしている10代の女性を指すものであるため、千葉真一と出会った当時の千葉玉美は、すでに芸妓だったということになります。
眞栄田郷敦の母と千葉真一との出会い・結婚
ここからは、眞栄田郷敦の母と千葉真一の出会いについて、さらに詳しくみていきましょう。また、結婚に関する話題もまとめるので、二人の馴れ初めからゴールインまでを辿りたい方はこちらをご覧ください。
出会いはお座敷?
当時京都でトップクラスの芸妓だった眞栄田郷敦の母と千葉真一との出会いは、お座敷だったと言われています。おそらく、仕事の合間や接待で二人は出会うことになったのでしょう。
玉美と知り合った千葉真一は、どんどん彼女の魅力に惹きつけられていったそうです。なお、舞妓を呼ぶには1時間で数万円かかると言われているので、千葉真一が彼女を口説くのにかなりの金額がかかったことでしょう。
1996年に結婚
千葉真一と玉美が結婚したのは1996年のことです。なお、千葉真一は1994年に野際陽子と離婚をしていたため、玉美との結婚は再婚ということになります。当時、千葉真一は57歳であったのに対し、玉美は29歳でした。歳の差が28歳ということもあり、結婚のニュースは大きな話題となりました。
結婚後ロサンゼルスに移住
千葉真一と玉美は、結婚した後アメリカ・ロサンゼルスに移住しました。同年、長男の新田真剣佑が誕生し、2000年には次男の眞栄田郷敦が誕生しています。
それからも家族はロサンゼルスで暮らしていたようです。結婚披露宴をしていなかった二人は、2010年に千葉真一の芸能生活50周年記念と合わせて披露宴を行いました。
眞栄田郷敦の母と千葉真一の離婚の真相
2010年には披露宴を行うなど仲睦まじい様子を見せていた眞栄田郷敦の母と千葉真一ですが、その後離婚してしまったことが明らかになっていますい。ここからは、眞栄田郷敦の母と千葉真一の離婚の真相について迫ります。
千葉真一に莫大な借金
千葉真一と玉美が離婚した大きな理由の一つに金銭トラブルがあります。ロサンゼルスに引っ越してから、千葉真一は借金をし続け映画製作などに投じ、家庭には全くお金を入れることがなくなったと言います。
しかし玉美は二人の子供を育てているため、外に働きに出ることができず、生活を切り詰め苦労が絶えなかったと言います。一方の千葉真一は、1970年にはジャパンアクションクラブを創設し、俳優養成学校を設けるなど、映画界で様々な活動を行っていました。
日米合作での映画制作を計画して多額の融資を受けたのに、映画製作が途中で頓挫してしまい、多大な借金を抱えることになってしまいました。
こうしてアメリカでの生活がままならなくなった二人は、帰国することになります。なお、新田真剣佑さんの親権は千葉真一が、眞栄田郷敦の親権は玉美が持っているとのことです。
2012年帰国後は別居生活
2012年に日本に帰国した千葉真一と玉美ですが、その後は別居生活を送ることになりました。千葉真一の借金問題に家賃滞納などで頭を悩まされた玉美は、次男の眞栄田郷敦と京都に戻って生活をしていたようです。
なお、長男の新田真剣佑は東京に住んでいたとのことです。2012年、マスコミから別居について聞かれた玉美は、「なぜ別居しているのか」との質問に「元々そうですから」と返しています。
さらに「元々?」と聞かれると、「私はほとんどアメリカで、彼はずっと日本が多かった」と答えています。
千葉真一が女子大生と密会
2015年4月、千葉真一が自身の名義で借りているマンションに女性を連れて入っていくところが週刊新潮によって取り上げられました。同誌によると、相手の女性は22歳の女性代生であり、2015年1月に知人の紹介によって知り合ったとのことです。
千葉真一が週刊新潮から突撃されると、「54歳下の愛人?!本当なら嬉しいことだけど、彼女は外国官を目指して勉強している優秀な学生で、彼女の母から頼まれてアメリカの学校の相談に乗っているんです。3人で一緒にご飯食べたり、家族ぐるみでのお付き合いです」と返しています。
スクープはされていますが、千葉真一本人は愛人との交際疑惑を否定していることになります。また、「このマンションには僕の荷物を置いてあり、彼女のお母さんも何度も来ています」と、マンションで密会をしていたという疑惑も否定しました。
しかし、実際には女子大生との交際は真剣だという噂も聞かれており、彼女のことは二人の息子にもすでに紹介していると言われています。千葉真一は息子たちに「この人と付き合うから離婚してもいいか」と直接相談したのだそうです。
2015年10月には、千葉真一が車の助手席に女子大生を乗せて都内の自宅マンションを出発し、都心から下町ヘ向かってコインパーキングに車を停めたところが目撃されています。二人は理髪店に入り、千葉真一が白髪を染めている間、彼女はソファで彼を待っていたようです。
それから理髪店を出た二人は別の男性と合流し、3人は近くの和食店に入って行きました。そこで2時間ほど食事をし、男性とは別れ二人は身体を密着させパーキングへと向かっていったようです。その後、二人はそのまま千葉真一のマンションへと入っていったと、在京メディア関係者が話しています。
2015年11月に離婚
愛人との密会報道のでた半年ほど後、2015年11月にはついに千葉真一と玉美の離婚が報じられています。二人の関係は結婚後にロサンゼルスに引っ越してすぐに破綻を迎えていたようで、ハリウッドを目指して移り住んだロスでの生活は幸せなものではなかったようです。
離婚理由は、やはり千葉真一の抱えていた莫大な借金と、54歳年下の女子大生との不倫がスクープされたことが原因であるとされています。千葉真一に対し、玉美は署名済みの離婚届を突き出したとのことです。
眞栄田郷敦の母の離婚後の生活
眞栄田郷敦の母・玉美は、千葉真一との離婚後どのような生活を送っているのでしょうか。ここからは、眞栄田郷敦の母の離婚後の生活の様子に迫ります。
京都で新田真剣佑と眞栄田郷敦と生活
千葉真一と離婚した玉美は、その後京都で長男の新田真剣佑と次男の眞栄田郷敦と生活を送っていました。女手一つで二人の息子の世話をしていたということになります。
パチンコ店で働く
二人の息子との生活を成り立たせるため、かつて京都のトップクラスの芸妓をしていた玉美はパチンコ店でアルバイトをしていたと言われています。時給千円で毎日8時間も働いていたと言われており、その多大な苦労が伝わります。
この報道が出たのは、2010年に千葉真一との結婚披露宴が行われてからわずか2年後のことでした。600人もの招待客を招いて盛大に行われた披露宴でしたが、2年後には家賃滞納で追われる身となり、アルバイトをすることになるとは本人も周囲も予想できなかったことでしょう。
眞栄田郷敦の母への思い
2021年、眞栄田郷敦がテレビ番組「A-studio」に出演した際、母の珠美について感謝の気持ちを述べています。眞栄田郷敦によると、父は日本で仕事をしていることが多かったらしく、アメリカでは母と兄と3人でいることが多かったとのことです。
英語も話せない中、母は兄弟二人を一生懸命に愛情を込めて育ててくれたそうです。眞栄田郷敦は今も母のことが大好きだといい、世のお母さんに対し、子育てが大変でも、子供はいつか感謝する時が来ると思う、子供にとって母が1番の存在だからと締めくくっています。
実際に眞栄田郷敦の母を取材した笑福亭鶴瓶は、「この人凄いわかってる人やな」と感心したことを話しています。そんな眞栄田郷敦の母は料理が得意だそうで、どこに外食へ行くかという話になった時、子供達が「ママレストラン」と答えるほどの腕前だったようです。
眞栄田郷敦の母・千葉玉美は苦労して息子を育て上げた
眞栄田郷敦の母・千葉玉美は、元夫の千葉真一の借金や不倫問題などに見舞われながらも、二人の息子を立派に育て上げた苦労の多い女性だったようです。現在は二人の息子も俳優として出世しており、これからはきっと親孝行をしてくれるのではないでしょうか。