フランスの名優の一人、アラン・ドロンをご存じの方もいるでしょう。近年は映画でその姿を見る機会はあまりありませんが、若い頃はイケメン俳優として世界的に名を馳せていました。そこで今回は、アラン・ドロンのプロフィールやイケメン画像、出演作品などについてご紹介します。
目次
アラン・ドロンとは
昔のフランス映画などを見ると、アラン・ドロンの完成された美貌に見とれる方も少なくないでしょう。現在、当時の若さで街を闊歩していても、間違いなくスカウトされるレベルのハンサムです。
そんなアラン・ドロンはどんなプロフィールを持っているのか、若い頃に何がきっかけでデビューしたのかなどについてご紹介します。時代を経てもなお、若い頃の美貌の評判が高いアラン・ドロンの魅力に迫ってみましょう。
アラン・ドロンのプロフィール
アラン・ドロンのプロフィールについてチェックしてみましょう。名前はAlain Delonと綴り、本名です。身長は177cmと、平均的な身長です。1935年11月8日にパリ郊外のセーヌ県ソーで生まれました。アラン・ドロンが4歳のときに両親が離婚し、以後、母親に育てられました。
やがて母親は再婚したものの、その再婚相手とアラン・ドロンの相性は悪かったそうです。そして生まれた妹のエディットばかりを母親が可愛がったため、アラン・ドロンは家族の邪魔者となっていきます。
その間に実父も再婚、さらにそちらの家庭では弟が生まれたため、アラン・ドロンは家庭に居場所がなかったそうです。14歳のときに母親の再婚相手が経営する店で働き始めたものの、やはり相性が悪く17歳のときに海軍へ志願し、入隊しました。
20歳で除隊するまで、、第一次インドシナ戦争などへ従軍し、除隊後はアメリカとメキシコを旅してまわり、1956年にフランスへ帰国しました。
若い頃のデビューのきっかけ
1957年の夏、アラン・ドロンが女優のブリジット・オベールからのアドバイスで、スカウトされることを期待してカンヌ映画祭の周辺を歩いていたそうです。
そこでハリウッドの有名エージェントとして有名だった、ヘンリー・ウィルスンから声がかかります。これがきっかけでアラン・ドロンはショービズ界へ足を踏み入れたのです。
最初は映画「武器よさらば」で有名な監督デヴィッド・O・セルズニックのスクリーンテストを受け、アメリカでの俳優活動を勧められたものの、一度断りました。そして女優エステラ・ブランのつてを利用して、イヴ・アレグレ監督の「女が事件にからむ時」にてジョー役で俳優デビューを果たしました。
日本でも大人気で一世風靡
あるCMがきっかけでアラン・ドロンの人気は日本でも一気に上昇しました。アラン・ドロンは1970年秋にスタートした、レナウンのオリジナルファッションブランド「ダーバン」のCMキャラクターとして、日本のテレビCMに出演し、その美男子ぶりで日本女性の心をキャッチしています。
CMで放った決めゼリフ「D’urban, c’est l’elegance de l’homme moderne」(ダーバン、それは現代男性のエレガンス)は当時の若者の間で流行ったそうです。CMにはいろいろなバージョンがあり、どれもアラン・ドロンの魅力がたっぷりと感じられる内容になっています。
アラン・ドロンの若い頃のイケメン画像を紹介
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アラン・ドロンの若い頃はどんな感じだったのか、いくつか当時のイケメン画像についてご紹介します。改めてそのイケメンぶりに浸ってみてください。
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青い目に凛々しい眉毛、どんなカメラアップにも耐えられる美しい顔立ちです。さらに抜群の演技力で、当時のアラン・ドロンは多くの若い女性を虜にしました。
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アラン・ドロンのスーツ姿には隙がなく、パーフェクトな美しさを醸し出しています。時代を超越したイケメンぶりで、現在この姿でモデルをしていたとしてもまったく違和感のない写真です。
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アラン・ドロンと同じくフランスを代表するアイコン的存在であったブリジット・バルドーとのツーショットは、そのまま絵になる美しさです。アラン・ドロンも、ブリジット・バルドーのセクシーさに負けていません。
アラン・ドロンの若い頃の出演作品
アラン・ドロンは若い頃数々の作品に出演し、その美貌と演技力を披露しています。ここでは若い頃の代表的な作品についてご紹介するので、ぜひ一度DVDや動画配信サービスなどで視聴してみてください。
1957年に公開された「女が事件に絡む時」にて華やかなスクリーンデビューを飾ったアラン・ドロンは、1959年に出演したコメディ映画「ウィメン・アー・ウィーク」にてフランス国内を中心に一躍知名度を上げました。
そして1960年に公開されたイタリアとフランスの合作犯罪映画「太陽がいっぱい」にて主役のトム・リプレーを熱演し、その巧みな演技力が国際的に大きな注目を浴びました。同作は1999年にマット・デイモン主演でリメイクもされました。
1960年公開のルキノ・ヴィスコンティ監督のイタリアとフランスの合作映画「若者のすべて」では主演、1963年公開の同監督映画「山猫」では準主役を好演するなど、フランス国内にとどまらず、ヨーロッパを代表する俳優としてその地位を確立しました。
ちなみにバイセクシャルを公表しているルキノ・ヴィスコンティ監督の映画に多く出演していることから、一時期は同監督とアラン・ドロンとの関係が噂されたこともあります。
1961年公開のオムニバス映画「素晴らしき恋人たち」では第四話でアルバート王子役で出演し、相手役のブリジット・バルドーとの共演でも大きな注目を浴びました。
さすがイケメンのアラン・ドロン
アラン・ドロンは、学生時代からそのイケメンぶりで周囲の女性の視線を集め、女子学生との関係も噂されることが多かったそうです。そんなイケメンのアラン・ドロンは俳優になってからも華やかな女性遍歴を披露しています。
若い頃からの女性遍歴がすごい
アラン・ドロンは1959年、24歳のときに映画「恋ひとすじに」で共演したドイツ人女優ロミー・シュナイダーと婚約したものの、その4年後に婚約破棄しています。
その後はドイツ人モデル兼歌手であるニコと交際したものの結婚には至らず、1963年から交際を始めたナタリー・バルテルミーと1964年に結婚しました。
しかし1969年に離婚し、離婚劇の最中に女優ミレーユ・ダルクを交際をしています。そして1987年には、ドイツ人モデルであるナタリー・ヴァン・ブレーメンとの交際が明らかになったものの、結婚せず2002年に別れています。
デヴィ夫人との気になるうわさ
近年、いろいろなバラエティ番組などでご意見番としての出番が多いデビィ夫人ですが、過去にアラン・ドロンとの関係が噂されたこともあります。
デビィ夫人は過去にテレビ番組内で、インドネシアのスカルノ大統領の第三夫人だった1964年に、東京五輪のために出入りしていた東京の帝国ホテル内でアラン・ドロンと知り合ったと明かしています。
そして翌年1965年にインドネシアで起きたクーデターから亡命したフランスでアラン・ドロンと再会し、「うたかたの恋」を経験したと語っていました。
当時のデビィ夫人は「東洋の真珠」というあだ名がつくほどの美しさで知られ、数々の貴族や有名人と浮名を流したという話もあります。当時のデビィ夫人とアラン・ドロンのツーショットは、美男美女で目立っていたことでしょう。
アラン・ドロンの子供
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数々の女性と関係を持ったアラン・ドロンには、認知していない子供も入れると、合計で4人いるとされています。一番最初の子供は、モデル兼歌手のニコとの間にできたアリ・ブローニュだと言われていますが、アラン・ドロンは認知していません。
しかしながらこのアリ・ブローニュがテレビに出演した際、若かりし頃のアラン・ドロンに瓜二つだったということで、実子であることはほぼ間違いないと言われています。
ナタリー・バルテルミーとの間に誕生したアントニー・ドロンは、幼少期に両親が離婚したため、青年期に羽目を外したりさまざまなトラブルを起こしたりしたものの、20歳から立ち上げたビジネスで大きな成功をおさめ、現在は実業家兼俳優として活躍しています。
ほかにはロザリー・ファン・ブレーメンとの間に、アヌーシュカとアラン・ファビアンの2人の子供をもうけており、レッドカーペットなどの公的な場で一緒に写真に収まったこともありました。
アラン・ドロンのエレガンスは香水でも魅了
アラン・ドロンは1970年代から香水のプロデュースにも携わっており、SAMOURAIやSHOGUNなどといった、甘くてセクシーな印象のベストセラー商品も出しています。アラン・ドロンのような大人の男性ならではのセクシーな魅力を演出したい方にぴったりの香水です。
SAMOURAIはオリエンタルな香りの中に甘さがあり、女性が身にまとっても違和感がないということで、密かに愛用している女性も多いようです。SHOGUNはスパイシーでフレッシュな香りなので、凛々しい男性におすすめです。
アラン・ドロンの現在
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多くの美女と浮名を流した、かつてのイケメン俳優であるアラン・ドロンは現在何をしているのか、気になる方もいるでしょう。ここではここ数年のアラン・ドロンに焦点を当ててみます。
アラン・ドロンは81歳で俳優を引退
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アラン・ドロンは2017年5月に、すでに出演が決まっていた残り1本ずつの映画と舞台を最後に、引退すると発表し、世界中が驚きに包まれました。若い頃とは違う、熟年ならではの魅力をスクリーンで披露していたものの、俳優としてのキャリアの終わりを決めたようです。
第72回カンヌ国際映画祭にて、これまでの映画界への功績を表し「名誉パルムドール」が送られています。その後のアラン・ドロンは表舞台に出ることはなく、静かに隠居生活を送っているようです。
生と向き合いスイスに在住中
アラン・ドロンは1999年にスイス国籍を取得しており、2019年に脳卒中の手術をスイスで受けてからというもの、スイスで余生を過ごしています。
しかしながら老いと病について考えることも多いようで、2022年3月にフランスの情報誌「ル・ポワン」にて、息子のアントニーは、父親はスイスでの安楽死を希望していると明かしています。
アントニーの母親であるナタリーは晩年、すい臓がんを患い、フランスでの安楽死を希望していたものの法的に認められず、病で亡くなったという経緯があります。
以来、アラン・ドロン自身も安楽死を認めていないフランスには異議を唱えており、安楽死を法的に認めているスイスで最後の処置を受けたいと考えているようです。
アラン・ドロンは史上最高のイケメン俳優
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今回はフランス人の史上最高のイケメン俳優、アラン・ドロンについてご紹介しましたが、いかがでしたか?アラン・ドロンは若かりし頃はその甘いマスクで数多くのファンを魅了してきました。
恵まれない幼少期を乗り越え、芸能界で大きな名声を手にしたアラン・ドロンは、現在は静かに残りの時間を過ごしています。今回の記事を参考にして、改めてアラン・ドロンの作品を見て、その魅力に浸ってみるのもよいでしょう。